御国の実を結ぶ
聖霊の力によって、私たちはイエスと協働して、人生のあらゆる領域で神の御国の目的に貢献する実を結びます。
壊れた像の担い手
堕落の結果、人間はもはや神のご性質を一貫して反映するような生き方をしなくなりました。私たちは「壊れた像の担い手」なのです。
契約
神様が個人とその民と交わされる約束。アダムとエバ(創世記1:26-28)、ノア(創世記9:8-17)、アブラハム(創世記12:1-3、15:1-21)、モーセとイスラエル(出エジプト19-24、34:1-28、申命記29-30)、ダビデ(第2サムエル7:1-16)、イエスと新しい契約(エレミヤ31:31-34、マタイ26:26-29、第1コリント11:23-26)
初代教会による著作
キリスト教の思想、実践、神学の発展に寄与した初代教会の著作
経験的関係プロセス
これは、キリスト者の成長に必要な、神他者との継続的な関係性における関わりのことを指す。
先住民
アイヌ、アボリジニ、イヌイットなど、自分たちが住む国の先住民族であると自認する民族集団。
神の偉大な物語
聖書の最初から最後までを通して語られる物語(その中に通じる全てのテーマを含む)
心
「心」とは、私たちの存在の中心的な核を意味し、そこから私たちが行うすべてのことが流れ出る。心からは、私たちの願望と意志によって形作られる人生の問題が湧き出ます(箴言4:23)
希望
私たちの希望は、イエスの再臨と、それに伴う死からの復活、そして被造物における神の御国の支配の確立が保証されていることにあります。
像の担い手
創世記1章26節に、神は人間をご自分のかたちに似せてお造りになったとあります。言い換えれば、私たちは神の「像の担い手」として、他の被造物に対して神のご性質を表し、反映するために造られたのです。
イエス
ここで言及されるイエスとはすべて、人となられた神のひとり子であり、神という存在を究極的に明らかにする、聖書に描かれた待望のメシアであるイエス・キリストを指しています。
イエスの帰還
イエスの初臨から、コリント人への手紙15章に書かれているイエスの御国の完成を伴う最後の再臨まで、その間に関して存在する様々な終末論的見解を受け入れる余地を残します。
聖霊の働き
聖霊が信者の生活の中に存在し、行われるすべてのこと。例:真理を語る、導く、慰める、賜物を与える、アイデンティティを明かす、癒しと奇跡を与える、など
神の性質と人格
「性質」とは神がどのようなお方であるかということです。例:個人的、関係的、創造されない、無限、全知全能、すべてにおいて存在する、創造主、永遠、など。「人格 」とは、神がどのように行動するのを選ばれるかということです。例:個人との関わりを大切にする、誠実である、親切である、怒るのに遅い、など。
新しい契約
新しい契約とは、イエスと聖霊を仲介者とする神と人間の新しい関係であり、イエスを主と告白するすべての人々を含んでいます。
新たな像の担い手
イエスに従う者たちは、聖霊の助けによって、イエスのように神のご性質を反映できるようにつくり変えられていきます。
いけにえの制度
旧約聖書の出エジプト記、レビ記、申命記に記されている礼拝、いけにえ、捧げ物に関する規定。
救いに必要なもの
教会の中では贖罪について様々な見解があります。このカリキュラムは、単一の見解にコミットするものではありません。
社会の影響の領域(Spheres of Influence)
家族、教育、政府、教会、経済、科学技術、芸術と娯楽
生活における領域 (Spheres of Life)
日常生活の中で、人が持つさまざまな役割のこと。(例:家族、隣人、友人、市民、消費者、学生、従業員、雇用者、発明家、スポーツマン、芸能人、農家など) こうしたすべての役割は、神のご性質や人格があらわされるための場面や機会をもたらします。
神の創造物の管理
創世記1章28節で、神はアダムとエバに、被造物のすべてに美と秩序と豊かさをもたらし、御国の実を結ぶことによって、神とともに支配し統治することを命じられました。
物語のタイムライン
変革的プロセス
ますますイエスのように成長していく過程を指す。具体的にはイエスの生き方、父なる神や他の人々との関わり方、そして世のためにサタンに立ち向かったあり方において。「変容の促進 」をご参照下さい。
神の三位一体の交わり
聖書は、イエスに従った人々の初期の著作とともに、父、子、聖霊という三位一体の神が、完全な愛と相互服従の関係において一つであることを明らかにしています。神はその本質において、個人的であり、関係的です。
真の心の変化
人の内側から始まり、外側へとあらわれる変化の過程。信念、価値観、欲求など、内側のものが変えられ、その結果が外側に表現されるようになる(例:言動が変わる)。
真の像の担い手
イエスは、もしあなたがわたしを見たなら、あなたは父を見たことになる、と言われました。イエスは「真の像の担い手」として、一貫して神の人格を反映した生き方をされました。(ヘブル1:3、ヨハネ14:9、コロサイ1:15)。
完全性
私たちは、イエス・キリストにある救いに入り、神の像の担い手として、より神の本来の意図に沿った生き方をしています。